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あなたのインプットは誰が決めているのか

あなたのインプットは誰が決めているのか

情報が溢れすぎて、今の人々の脳は完全にパンクしている。

この情報社会において、なんでもかんでも脳にインストールしていたら、キリがない。

そしてインストールされる情報の多くは、自分にとって必要なものではない

ニュースやSNS、YouTube、Podcast、最近ではAIが生み出した情報までも流れてくる。

それらを全部処理して脳にインストールするなんて無理な話。

みんな心当たりがあるはずだけど、SNSのスクロールは気づいたら時間を忘れさせる。

それが幸せや楽しみだけならまだいいけど、実際には不安やストレスまでももたらす。

もし、そんな時間に心当たりがあるなら、この投稿を通して情報との向き合い方を一度考えてみてほしいです。


情報取得には2つの型がある

情報は、ただ受け取るものではなく、ある程度コントロールして取得できるものです。

大きく2つに分けて考えてみます。

  • 自分の意図せず流れてくるもの
  • 自分から意図して情報を取りに行くもの

同じ情報ではある、しかし明確な違いがある。

それは自らその情報を必要として、情報に触れているかどうか。

必要な通知もあるし、自分では探しに行かなかった情報に出会えることもあります。

ただ、自分が必要としていない情報にずっと反応し続けているなら、情報への触れ方を一度見直してもいいと思っています。

この記事では今後、自分の意図せず流れてくるものはPush型、自分から意図して情報を取りに行くものをPull型と呼びます。

Push型情報

まず、使い方によって時間やメンタルを削りやすいのがPush型の情報です。

典型的なものはSNSです。

無限に続くタイムライン、動画の一覧、など自分が見たくて見ているつもりかもしれないけど、そうではない。

必要な情報ではないのになんとなく眺めてしまったり、気分がよくなるわけでもないのになぜか閉じられない。

楽しいから見ている時間もある一方で、見終わったあとに何も残らず、時間だけが過ぎ去ることもある。

もちろん、それは楽しみとして自分で選択した時間であれば問題ない。

ただ、そういう情報との付き合い方は、少しずつ時間だけでなく、メンタルも削っていく。

Pull型情報

Pull型は自分から取りに行く情報です。

検索だったり、ドキュメントなどの資料を読む、本を読む。

Pull型の良さは、自分の関心や目的を起点にできることです。

何かを知りたくて検索したり資料を読む、自分の関心があることについて書かれた本から情報をインプットする。

何を知りたくて、なぜそれを読むのか、そして今それを取り入れる必要があるのか。

そういう判断を、自分の側で制御しやすい。

情報が多すぎる時代には、この「自分で取りに行く」という感覚がかなり大事になっていると思います。


ここまで書くと、Push型が悪く、Pull型が良いという話に見えるかもしれません。

でも、そう単純な話ではありません。

大事なのは、PushかPullかという分類そのものではなく、その情報に触れる主導権が自分にあるかどうかです。

そして、気づいた人がいるかもしれません。

メールで届く記事はPush型じゃないのか?と。

通知は飛ぶし、メールだって配信もしているから完全にSNS寄りではある。

それなのに、メールでも届く場所でこの記事を書いているなんておかしな話だと思いませんでしたか。

ただ、購読して読むメディアにはSNSのフィードとは異なることがあります。

それは基本的に誰を「読む」かを、自分で選ぶことです。

購読するときは「この人の文章読みたいな、この人の世界観すきだから触れたいな」という思いを持ち、NotesのようなSNS的な面は持ちつつも、中心にあるのは特定の書き手に触れるという関係。

これは、かなり大きな違いだと思います。

さらに、記事はメールで受け取ることもできるし、通知を切って自分が読みたいタイミングで開いて読むこともできる。

つまりメール配信される記事は確かにPush型の要素は持っているけど、読む側が情報の取得を制御しやすい点がSNSのフィードとは異なる。

この記事をメールでも届く場所で書く意味も、Push型だから悪い、Pull型だから良い、という単純な話ではなく、情報取得について考えるために書いています。


情報を届ける側の責任

メールで届く記事はPush型になり得るからこそ、書く側も考えることがあります。

先日こんなメモをしました。

あなたにとってメールはどんなものでしょう。
メールという媒体で、あなたが書いた文章が届きます。
書いた側は読者にとって「情報」を届けている、と理解しておくのが、相手の生活に入り込む配慮なんだと思う。

あなたにとって、メールとはどういう存在なのか?

メールで届く文章は読者の時間に入り込みます。

通知が出れば読者の意識をハックするし、タイトルに惹かれてメールを開くと読者が時間を使って、文章を読みます。

そして、情報は先にも触れたように、良い気分にさせるものだけとは限りません。

不安や焦り、ストレスを生むことだってあります。

だからメールでも届く場所で書くなら、僕は「届ける」ことに少しだけ慎重でありたいです。

慎重である、というのは発信を減らすとか毎回正しくて有益なことだけを書く、という意味ではありません。

個人的な違和感や考えを書くことだってあるし、読者の良い感情にだけアプローチするとは限りません。

つまり、読者に配慮して無難な良いことしか言わない、ということじゃない。

むしろ逆で届けるならちゃんと意図を持って届けたい

反応を取るためではなく、読み終わったあとに少し視界が整理されるように書き、読む人の時間をむやみに散らかさないように書く。

Push型の媒体で書くということは、そういう責任も含んでいると思う。


情報の入口を選ぶ

情報が多すぎる時代に必要なのは、もっとたくさん知ることではなく、何を自分の中にインストールするか選ぶことだと思います。

読む側は情報の入口を選び、書く側は誰かの時間に入り込むものを書いていると自覚する。

この2つは、同じ問題の表と裏にあります。

僕は現代の情報があふれる中で、RSSを再評価しています。

RSSは正直新しい技術とは言えず、どちらかというと古い技術。

ブログの全盛期には誰もがRSSを配信していて、そのブログが好きな読者はRSSを登録していました。

RSSの良さは、自分で望んで情報を取得できることにある。

誰の情報に触れるか、どんなテーマの情報に触れるか、それは自ら判断する。

SNSでは、フォローしている人の投稿だけでなく、おすすめや広告、誰かの反応、話題になっている投稿まで流れてきます。

それによって偶然おもしろいものに出会うこともあると思いますが、自分が意図していない情報が大量に混ざり込むことも避けられません。

一方でRSSリーダーには、基本的に自分が登録した情報元の更新だけが並びます。

プラットフォームのアルゴリズムによって混ぜ込まれる、ノイズとなる情報は含まずに、自分が選んだ情報元からの更新だけ届く。

そして、通知に反応するのではなく、自分が情報をインストールしたいタイミングで自分で情報を得る場としてRSSリーダーを開く。

これは、情報を浴びるのではなく、自分で取りに行く感覚に近い。


そして、この何を情報の入口にするかという問題は、AIによってさらに重要になっています。

これまでは自分で検索していたことをAIに聞き、長い記事は要約してもらう。

人間が入力した情報をもとにアウトプットはAIが行い、それを人間がインストールする。

僕だって毎日当たり前のようにやってるし、この流れはこれからもっと加速するのは目に見えています。

だからこそ、AIが便利になればなるほど、人間がAIに何を渡すかが重要になります。

つまり、AIから情報を受け取っているつもりでも、日々SNSのスクロールして得られた情報に依存しているなら、そういう情報しかAIに渡すことができません。

だから、本質はAIをどう使うかではなく、人間がどういう情報環境で生活をするか、です。


結局、僕がこの記事で考えたいのは、あふれる情報をどうやってインストールするかではありません。

むしろ、増え続ける情報の中で、何を自分の中に取り込むのかをどう選ぶかです。

情報が溢れている時代だからこそ、読むことも、届けることも、もう少し丁寧に扱いたいと思っています。