AI時代の「あなた」である意味
日々、AIが凄まじいスピードで進化していく中で、人間はどういうスタンスで生きていくか。
この問いは、現代人が考える大きなテーマの1つじゃないかと思っています。
もちろん、この問いに明確な正解はありません。
時代の変化は今も進んでいる途中だし、数年後には今の常識がまったく通用しなくなっている可能性もある。
それでも、自分なりに今の時点で思っていることはあります。
AIの進歩によって人の仕事がなくなる。
この言葉は、ここ数年でかなり頻繁に耳にするようになりました。
ニュースでもSNSでも、AIが文章を書いたり画像を作る、コードを書いてアプリを作る、そんな情報が毎日のように流れてくる。
ちょっと前まで当たり前のように人間がやっていたことを、気づいたらAIでもできるようになっている。
そういうものを見ていると、不安になる人がいるのは当然だと思います。
自分の仕事は大丈夫なのか。
これまで積み上げてきたスキルは無駄になるのか、AIをうまく使っている人だけが先に進んで、自分だけが取り残されるのではないか。
こういう不安は、たぶん誰にでも少なからずあると思うんですよね。
奪われるもの、残るもの
じゃあ、AIによって人の仕事はなくなるのか。
これに対する自分の答えは、YesでもありNoでもある、です。
AIは疲れないし、気分に左右されないし、同じ作業を大量にこなすこともできます。
人間なら集中力が切れたり、飽きたり、ミスをしたりするような場面でも、AIは一定の精度で処理し続けることができる。
もちろんAIにも間違いはあるけど、それでも用途によっては人間より高いパフォーマンスを出すことだってたくさんある。
だから、AIによって一部の仕事がなくなるという話自体は、かなり現実的だと思います。
ただ、ここで大事なのは「仕事がなくなる」という言葉を、少し分解して考えること。
奪われるのは、職業名そのものというより、その中に含まれる作業です。
たとえば、ライターという仕事があったとしても、すべてのライターの仕事が一瞬でなくなるわけではない。
けれど、誰が書いてもあまり差が出ない文章や情報を並べただけの記事、検索すれば出てくる内容をまとめただけの文章は、AIに置き換わりやすい。
つまり、AIに奪われやすいのは人間がやる意味が薄い作業です。
逆に言えば、人間がやる意味があるものは、そう簡単にはなくならない。
ここを考えないまま「AIに仕事を奪われる」とだけ言うと、必要以上に不安が大きくなってしまう気がします。
SNSではAI使ったら寝ている間に働いてくれた、ほとんど手を動かしてないのに稼げたみたいな情報も出回っている。
もちろん、実際にそういう使い方ができている人もいるのかもしれません。
けれど、そういう投稿を見るたびに自分はできていない、AIを使っている人とどんどん差がついている、と焦ったり不安になる必要はないと思っています。
そういうものを見たら、「すごいね、おめでとう」くらいでいい。
本当に恐れるべきなのは、自分という人間に対して、自分自身が価値を見いだせなくなることだと思います。
AIが凄いから考えることを放棄してなんでもAIにやってもらえばいいや。
もしそう考えるようになってしまったら、その方がずっと怖い。
なぜなら、人間の価値は単純な処理速度や作業量だけでは決まらないからです。
その人だから意味がある
例えばアーティストに例えるとわかりやすい。
あなたが好きなアーティストがいるとします。
好きな理由は、声が好きだからかもしれないし、メロディーが好きだからかもしれない。
歌詞に共感するからかもしれないし、見た目や雰囲気が好きだからかもしれない。
ライブでの振る舞いや、その人がこれまで歩んできた背景に惹かれている場合もあると思います。
では、AIがそのアーティストよりも技術的にすごくて人気が出る曲を作れるようになったら、あなたはそのアーティストを好きではなくなりますか?
Noと答えるはずです。
それはAIが作ったから、ではなくAIが作った曲が良かったとしても、あなたはそのアーティストが好きだから。
そのアーティストがその声で歌うことに意味があるし、過去の作品を知っているから、今回の曲はこういうのいいなとか、変化に気づける。
こういうものは、単純に曲としての完成度だけでは測れません。
音楽が好きな人なら「あるある」と共感をしてもらえるんじゃないかなと思うけど、同じアーティストでもこの曲いいなと思って作詞や作曲、編曲をみると「やっぱりこの人か」ってことがあると思うんですよね。
この部分めちゃくちゃいいなと思ったんだよな、やっぱりかと感じさせる。
それがまさに、その人らしさ。
じゃあ、AIを使ったら「らしさ」は出せないのか。
たとえば、人がAIに「いい感じの音楽を作って」とだけ言う場合。
その結果、AIがそれなりに良い曲を作ったとしても、そこにはその人の意図がほとんどありません。
もちろん、それを楽しむことはできます。
でも、それを作った人自身の価値がどこにあるのかは見えにくい。
こういうAIの使い方だけをしていると、いずれAIに置き換えられる側に近づいてしまうと思います。
それに対して、「こういう感情を表現したい」「この場面で聴いた人にこう感じてほしい」「自分はこういうメロディーが好きで、この違和感だけは残したい」と考えて、AIに形にしてもらう場合はまったく違います。
この場合、AIはあくまで手を動かす存在です。
同じAIが作り上げたものでも、まったくの別物。
AI時代に差がつくのは、AIに何を作らせるかではなく、自分が何を良いと思い、何を届けたいと思えるかだと思います。
「らしさ」が価値に変わるとき
個人の大切さは分かったけど、じゃあどうやってAIを使う側の人間になって、この先の時代を生きていけばいいんだ?という疑問が当然でてくる。
この問いは簡単じゃないです。
自分らしさって、無理に出そうとするものではなくて、生きていく中での選択や行動から、周りの人が「この人はこういう人なんだ」と感じてくれるものだと思います。
でも、自分らしさ、だけじゃ生きていけない。
社会に身をおいている限り、究極的に社会と切り離そうとしてもお金がないと、住居を持って、食事をとることができないから。
それか無人島で完全自給自足したら、生きていくだけならできるかもしれない。
自分らしさは大事です。
でも、自分らしさがあるだけでお金になるわけではありません。
ここを勘違いすると、ただ好きなことをしていればいつか報われる、という話になってしまうけど、現実はそこまで単純ではないと思います。
あなたがもしマインクラフトが好きで自分だけの世界を作り上げて、自分らしさが出てもそれにお金を出してくれる人はいない。
その一方でゲーム実況者のようにゲームをすることでお金に変えている人たちもいる。
もちろん、僕はゲーム実況者ではないからわからないけど、少なくてもゲームだけしていればいいわけじゃなくて、ゲームを素材として編集をしてコンテンツを作ったり、そのコンテンツをユーザーに知ってもらうためにマーケティング活動が少なからず発生している。
つまり、「らしさ」は誰かに届いて始めて価値に変わる。
AI時代に必要なのは、AIを恐れることでも、AIを神様のように扱うことでもないと思います。
必要なのは、自分の価値基準を育てることです。
日々、何を見て、何に感動して、何に違和感を持つのか。
なぜそれが好きなのか、なぜそれが嫌なのか。
どんな人の役に立ちたくて、自分はどんなものを作りたいんだろうか。
こういう問いに向き合うことは、効率だけを考えると遠回りに見えるかもしれません。
でも、AIが何でも速く作れる時代だからこそ、人間側の判断基準がより重要になる。
AIが作れるものは間違いなく増えていきます。
でも、何を作るべきかを決めるのは人間です。
AIが文章を書けるようになっても、何を伝えたいのかを持っている人の文章には意味があるし、AIが音楽を作れるようになっても、その人の人生や感情が乗った音楽には意味がある。
結局、AI時代に人間がやるべきことは、自分の中にあるものをよりはっきりさせることだと思います。
AIに任せられることは任せればいいです。
ただ手を動かす作業、ただ時間がかかる作業、自分がやりたくないとかめんどくさいと思うことは、どんどんAIに助けてもらえばいい。
その代わり、自分は何を楽しいと思うのか、自分が何を良いと思うのか、を手放してはいけない。
AIに仕事を奪われるかどうかという問いの奥には、たぶん「自分は誰として価値を出せるのか」という問いがあって、それに向き合い誰かに届ける。
自分は、それがこれからの時代を生きる上で大事なスタンスなんじゃないかと思っています。